2018年10月26日
今夜は兄弟全員揃っての家族会議…兄弟4人が揃いゆっくり話したのは母の葬儀以来でしょうか…
片付け物をしていて、祖父・西川留次郎の名刺を見つけました。
昭和9年生まれの父が10歳の時に、祖父が42歳で沖縄で戦死。明治35年(1902年)生れと言う事になります。戦争に行く前は電車の車掌をしていたそうで、仕事の肩書が無く、自宅住所が書かれている事を考えると、プライベート名刺だった様です…
名刺は戦前に作ったでしょうし、田んぼであった現住所に家を建てたのが父が生まれた昭和9年、そう考えると75年〜84年前作った名刺になります。もしかすれば出征する際、自らが戦死した場合の事を考え、生き残った戦友に自分の名前と出身地の名刺を配り、戦友に思い出話を託すのが慣例だったのかもしれません。そう考えると悲しい名刺になります。遠い昔の様で、僅か70年前の日本人男性の平均寿命は23.9歳だったと言われています…たかが名刺ですが、思いがけず戦時中の祖父の思いを想像し、貴重な時間を過ごしました。
現在の住所は「大阪府堺市東区野尻町40」ですが「大阪府南河内郡南八下村野尻」となっており、番地が書かれていない事を考えると、世帯数が少なかったことが伺えます。終戦が昭和20年(1945年)で、南八下村の堺市への編入を調べてみると、昭和33年(1958年)で、私が生まれる僅か6年前になります。